2010年5月4日火曜日

Student apathy

こんばんはー。
同じく慶應義塾大学武山政直研究会の池田憲弘です。

僕の場合は自分が考えたことや面白かったことなどについての適当なアウトプットの場所になるかと思います。軽い気持ちで読んでみてください。

最近、ステューデントアパシーという言葉を知った。アパシーとは、心理学用語なのだが、精神疾患や脳器質疾患に見られる無感情や感情鈍麻の状態を指し、無気力・無関心・無快楽が主な特徴とのこと。

こう見ると、非常に重々しく見えるが、これを大学生特有の状況に当てはめたものが、大学生アパシー、スチューデントアパシーということ。特徴的な症状は、「大学生の本業である勉強のみに対する無関心で、アルバイトなど勉強以外のことに対してはまじめに取り組むこともある」ということらしい。

なかなか硬い言葉だが、「大学生の無気力症候群」とでも言えば、少し馴染みが出てくるかもしれない。「5月病」のもっと長いヴァージョン?病気とは言えないような軽い状態も含めれば結構そういう人が多いような気もする。

また、この病気自体は他の世代、例えば新入社員などにも言えて、サラリーマン・アパシーなどと名前を変えているのだとか。同じく本業(仕事)に対して無関心・無気力になってしまうという症状のようですが、スチューデントアパシーと共に原因がよく分かっていないのが現状。

原因には諸説あるようですが…
・真面目な人に多い
・人の期待に答えようとする人に多い
・将来に対して漫然とした不安を持っている
みたいな傾向があることから、競争社会に疲れた人とか、自分で目的を持っていないことが原因というのが有力な模様。

僕としては社会全体の風潮の変化も原因なのかな、とも思ってしまう。言うなれば社会学的な側面からのアプローチ。ここからはただの推測。

このスチューデントアパシーが顕在化し、名前がつけられたのは1973年。第1次オイルショックが起きた年です。オイルショックというのは、高度経済成長期を越え、日本人の生活がある程度豊かになりきった、という1つの区切りとしての意味合いも強い。では大学生にとってはどうだったのか。

それまでは大学生には選択肢がなかった。「良い大学に入りそこで勉強し、良い企業に入って豊かな生活を目指す」という「大きな物語」、多くの人が望む世界像というものがあり、その物語の一部として大学は位置付けられ、その物語に従うしかなかったから。しかし、オイルショックが象徴するように、人々の生活が豊かになったことで「大きな物語」にひびが入った。

「大きな物語」というのは人に目的を与えてくれる。人は何も考えなくてもよく、常に目的が存在する状態に置かれる。実に近代的だが、この「大きな物語」の崩壊で一番割りを食ったのが大学生だったというだけの話。社会に出るまで、出てからのレールがぼやけ、自分で大学に行く目的を定めなければならなくなった。

この状況に適応できなかったからスチューデントアパシーは発生したのではないか。スチューデントアパシーの発生は近代的なシステムの崩壊に起因するのではないか、ということ。

さて、振り返って今を考えると「大学生の無気力症候群」みたいな話は未だに健在であるように感じる。しかし、昔のスチューデントアパシーとはもう質が違う。(物質的)豊かさを目指すという「大きな物語」は完全に崩壊し、多くの人が目的もなく大学に行くことが増えた今、(強制される)勉学に対して無気力であることが主流になったようにも感じる。そうなれば、もはやこれは「病気(異常)」ではなく「正常」になりつつあるのだろう。異常だと感じるのは今の社会人、大学生よりも上の世代だけだ。

病理ではなくなった今、スチューデントアパシーを論じ、揶揄する意味は消えるのか、それとも大学や企業などの位置づけ、存在の意義を変化させることでこの状況に対応するのか。時代はどちらを選択するのだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿