2011年6月25日土曜日

ヤフー・トピックスからキュレーションを考える


配属されて2ヶ月が過ぎました。記者という職種になってから、さまざまなニュースサイトを見る目が少し変わったような気がします。今回は日本最大の知名度を誇るニュースサイト「Yahoo!ニュース」のトピックスについて編集部の方が記された本である「ヤフー・トピックスの作り方」(奥村倫弘著・光文社新書)の書評を書いてみました。以下、書評です。

ヤフー・トピックスとは、Yahoo! JAPANのトップページに出てくるニュースのこと。検索エンジンにGoogleを採用している人だとしても、一度は目にしたことがあるのではないだろうか。月間45億PV、訪問者数約7000万人という数値から鑑みても、インターネット上のみならず、テレビや新聞と比較しても日本最大級の知名度を持っているニュースサイトと言えるだろう。

この本には、ヤフー・トピックスの歴史、トピックス作成者の仕事、トピックス作成の留意点といったライトな話から、ニュースの価値、メディアの価値、といった根源的な話まで幅広く扱っている。文章も分かりやすく、なじみがあるテーマなので非常に読みやすい。好奇心を満たす読み物としての完成度も高く、好感が持てる。

●キュレーションメディアとしてのヤフー・トピックス
トピックスは「キュレーション」という概念と非常に相性が良いと思う。トピックスは、専門の編集部がニュースサイトからフィードされる無数のニュースから、トピックスに載せる価値があるもの(基準は選者によって異なる)をピックアップし、情報をより深く理解するための「関連サイト」を付加し、余計な情報を削ぎ落とした13文字のタイトルを付ける、といったような手順で作成される。

数多ある情報(ニュース)から、選者なりの基準で価値あるものをピックアップし、リンクやタイトルという付加価値を付ける、という過程は正に「キュレーション」そのものではないか。トピックスの選者は、それぞれがスポーツや政治、など得意とするジャンルを持ったキュレーターの役割を果たしている。また、彼らは新聞社や放送局での勤務経験を持った30歳前後の人がほとんどで、クオリティも担保されていると言える。そのおかげで、読者は安心して(信用して)ニュースを読むことができるのだ。ヤフー・トピックスは、数多くのキュレーターで作る、キュレーションメディアという認識が妥当なのではないか。

本書の中でも

「情報が整理されて集まることで力が生まれるんですよ」。伊藤はインターネットならではのニュースの見せ方を追求しています。(p.68)

とあり、ヤフー・トピックスのみならず、インターネットのニュースサイトが「キュレーション」の役割を果たしていることを示している。これは新聞なら紙面の都合、テレビならば尺の問題といったような「情報量の限度」に縛られないというインターネットの特性に起因するものだと考えられる。

●キュレーションの必要性とは
最近ではRSSリーダーなど、自分で入手する情報を設定・制限する方法が増えてきた。これも情報過多の時代の1つの解決策といえるのだが、いまひとつ浸透していないように感じる。Yahoo! においてもニュースのパーソナライズに取り組んできた経緯があるものの、どれも成功していないという。例えば、記事検索サービスに自分が気になるキーワードを登録しておける機能や、トップページにRSSリーダーの機能を付けてみたものの、利用者が全く増えなかった。「あなたにおすすめの記事」というレコメンド機能も利用者はあまりいない。この理由について、奥村さんは本書の中で以下のように述べている。

単純にめんどくさいという理由もあれば、選択肢が無数にある場面では誰もが自分の趣味や関心事を言葉にできるとは限らないという事情もあるのでしょう。(p.178)

RSSリーダーなど、ニュースのパーソナライズサービスは『自分の意思を言葉にできる上級者向けのサービス』と奥村さんは位置づけているが、結局それを使ったところで「自分の関心のある分野に限ったとしても、結局一日で読みきれる分量にはまとまらない」(p.180)のである。

そんなとき、心の中でこう叫ぶのです。「ああ、誰か読むべきニュースを整理して教えてくれればいいのに!」。

結局、誰かがニュースをフィルタリングしてくれるのを待っている自分に気づきます。これからの時代は、フィルタリングされたニュースのパッケージングが多様化してくるのでしょう。おそらく、機会が抽出したニュース群を読みにかかるよりも、自分と感性の似た編集者が抽出したニュース群を読む方が安心できるような気がします。(p.180)

奥村さんの言葉は、キュレーションの本質、そしてキュレーションの必要性を的確に突いているように思う。また、キュレーションの問題として「自分に関心のある範囲に収まったニュースしか集まってこない」というタコツボ化という問題があるが、ヤフー・トピックスはそれを解決する可能性を持つメディアであるとも思う。

2011年5月30日月曜日

「キュレーション」は思考停止を超えられるか



「キュレーション」という言葉自体は、去年からぽつぽつ出てきていたのだけれど、この本が出てからは一気にメジャーになったような気がします。今回はそんな「キュレーションの時代――「つながり」の情報革命が始まる」(佐々木俊尚著・ちくま新書)を読んでみました。以下、書評です。

キュレーションとは、著者の佐々木さんの定義するところによると「キュレーションは情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」だという。情報過多の時代における解決の方向性の1つとして紹介している。

本書の内容を端的に言うと、ソーシャル化がどんどん進み、情報の流れ方が変化した現代において、一次情報(コンテンツでもよし)の獲得や発信よりも、爆発的に増えた情報を整理・選別し、付加価値をつけたり、その人なりの視点(感覚・センス)を提示したりすることが重要になるのではないか、ということ。

インターネットの普及など技術の発展により、情報の流れ方が権力のある人間から、権力のない人間へと流れるというトップダウン型から、網目のようなモデルで情報が行き来する時代へと変化した。今まではインターネット上の情報の整理、選別を機械にやらせていた(Googleなどの検索エンジンを例に取ると分かりやすいかも)のが、より人的な要因による情報の整理へと進んでいる。“Twitter”は情報を時系列という機械的な基準で並べているが、“foursquare”などの位置情報を活用したアプリの台頭を見ていると、位置情報という(より人的要因で左右される)基準で情報を整理することが付加価値を生むことが分かる。“Facebook”に至っては、人間関係で情報を整理するという方向性に進んでいるのだから、恐ろしい、というか技術の進歩に驚愕させられる話だ。

私がキュレーションと言葉から連想するサービスは「ニコニコ動画」と「tumblr」の2つ。「NAVERまとめ」もキュレーションの代表格として扱われることが多いが、これに関してはこの記事(http://ascii.jp/elem/000/000/584/584037/)が参考になるだろう。「tumblr」というウェブスクラップサービスは、自分で好きな情報を集めたり、フォローしている他人が集めた情報から好きなものを選んでスクラップしたりという誰もがキュレーターになることのできるウェブサービスだと思う。

「ニコニコ動画」に関しては少々話が長くなる。まず、一昨年の年末に出現した「人類には早すぎるランキング」シリーズがキュレーションの代表として挙げられるのではないかと思っている。このランキングはニコニコ動画にアップされている数多くの動画から、ランキング作成者の独断と偏見により(この人のセンス任せとも言える)動画がピックアップされる。このランキング作成者の選定の切り口が面白く、従来のランキング(再生数など機械的な基準)では拾われないようなマイナーな動画ばかり取り上げるのも特徴的だ。

また、ニコニコ動画に最初からある機能である「マイリスト機能」も、キュレーションであると言える。自分の気に入った動画を整理し、そのリストを他人に対して公開することも可能、という機能だ。情報の整理、という観点では本棚やウェブのブックマークなど以前から行われていたが、共有することで新たな意味や価値が生まれる、ということは今の時代ならではのことだろう。

さて、ひとまず本書における印象や感想を簡単に述べさせてもらうと、2011年現在のウェブサービスの潮流や現状を把握するには最適な本。ただ、例としてあげているエピソードが長かったり、表現が少し冗長だったりするので分かりにくく、読みづらい部分が目立つ……といったところだろうか。良い本だと思うので、一読して損はないと思う。

2010年6月11日金曜日

デザイン思考のエッセンス(後)

前編では今年度と昨年度のミニプロの概観、相違点についてを書いてきましたが、その結果浮かび上がってきたのは次のようなことです。

<相違点・問題点>
輪読(座学)をしなかった
課題設定に割く時間が激減した
プロトタイプの完成、トライアルまで実行する班が多かった


ということで、最初の輪読の話からつらつらと。

輪読を強制しなかった分、課題図書を読むかどうかはそれぞれの班に委ねられるようになりました。よって、デザイン思考のプロセスを辿りながらプロジェクトを行ったのか、という点に関しては疑問が残ります。実際のところ、多くの班ではデザイン思考とは違った方向性でプロジェクトが進められているような班も見受けられたように感じます。

こういった事態を回避するために、プロジェクトの最終週に関しては振り返りの週と位置づけ、一度しっかりとデザイン思考と向き合ってもらいたいという思惑がありました。この点については大体狙い通りだったと思います。それも班の裁量、という部分もありますが。


プロトタイプの話については議論が大分なされていると思うので省略し、「課題設定が甘かった」という話題について書いていこうと思います。


課題設定が甘い、ということそれ自体はミニプロに限って言えば実はそこまで問題はありません。というのもこれが大きく影響するのは、こういったプロジェクトが実際に世の中に出る時や、ビジネスモデルを考えたりしなければならない時だと思っています。

課題設定というのは、「このプロジェクトが(またはプロジェクトで生み出されるものが)本当にユーザーにとって価値があるものなのか?」というところに密接に関係すると思っています。哲学とビジョンとかは特にこういった部分に当てはまるのかな、と。ワークモデル分析やペルソナとかもこれに当てはまると思います。

本当であれば、この課題設定の部分で大きな共感を呼ばなければならない。というのも、モノが「売れる」というのはモノが多くの人に受け入れられるということ。多くの人がそれが必要だと感じてくれなければモノは売れません。人にとって価値のあるものでなければ、結局のところモノは売れないのです。

だが、今年度のミニプロではここの部分を疎かにしてしまった。結果何が起こったかというとアイデア自体は面白いものが出たにも関わらず、長く使っていくイメージが持てるサービスやモノはあまり生み出されなかったと感じています。ぱっと見の面白さはあれど、飽きられて使われなくなってしまうのではないかと思うものも多かったです。

「つくって・かたって・ふりかえる」というのはデザイン思考において非常に有効な手段であることは今回のミニプロで分かったのですが、これだけでは課題設定というのは深掘りされないのではないか。これ以外にも留意する点や、別の視点で物事を進めていかないと、特にビジネスになったときには大きな傷を負う可能性もあります。特に本プロでは企業と提携している場合が多いので、ここが重要なポイントとなる可能性も十分にあるでしょう。

ということで、次のミニプロへの提言。あくまでデザイン思考を学ぶことを目的とした場合についてです。

・輪読はプロジェクトと同時並行で強制的にやらせる
・振り返りの週は各班しっかりとやったほうがいい
・デザイン課題の設定にはもう少し時間を割いても良いかも(プレゼン1回分ぐらい)
・↑の理由より、全部で6週ぐらいあったほうがいい?(2週×3)
 (課題設定/1stプロトタイプ/2ndプロトタイプ という感じ)

という感じで〆させて頂きます。ご意見があれば何なりとコメントでどうぞw

2010年6月5日土曜日

エスノメソドロジー×ライフログ

【情報共有】
エスノメソドロジー:
歯医者さんからの宿題 ~無意識下の行動に気づく工夫~
http://do-gugan.com/~misawa/archives/2010/02/post-201.html
"今日、歯医者さんから宿題がでました。ちょっと変わった宿題です。
それは、「PCモニタの隅にシールを貼って、目に入ったら、自分の歯を意識する」
っていうもの。私は、集中すると歯をくいしばる癖があるらしく、歯に大きな負担が
かかっているのだそうです。しかも、いつも無意識にやっている。だから、まずは
自分の行動を意識する訓練をしてみよう、というのが、この風変わりな宿題です。
--
歯医者さんでも、歯が痛いからって、歯の表面だけを治療しているようでは、
その場しのぎの問題解決しかできないってことですね。
根本的な治療をするためには、問題の奥に潜む人間性、生活環境に着目して、
興味のもてる改善策を、長い目で支援する。
そんな、HCDのアプローチを歯医者さんで感じました。"

といった記事なんですが、思慮深いですね。
デザイン思考の歯医者さんとかかっこいい!

無意識下の行動を抑制するためには、
その人の日常的行動に意識を誘導する動線を引けばよい
と、ちょっとした教訓が見えます。

自分はこの無意識下の行動に対する気付きの手段として
ライフログって有効なのではないかと考えています。
自動で蓄積されるログか、もしくは他者に蓄積してもらったログ。

歯医者の例ではないですが、
表面上の問題を取り除くだけでは根本的な解決に至らないような事象に対して
本人にその本質的且つ無意識下の問題を認識させる手段としてのライフログ。

「1日127回歯を食いしばってます」とか
「今日はまだ一度もトイレに行っていません」とか
「mtgの間ずっと怖い顔していました」とか
このままではよくないですよ的なログがあれば
嫌でも意識させることができるんじゃないかな。

理想の状態がどんなか、って定義するのは難しいけど、
データとして、定量的な他者との比較があれば素直に受け入れられるし、
そのログを歯医者さんに見せることで、解決策が見いだせるかもしれない。

エスノメソドロジー×ライフログはなかなか熱いと思う。

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[追記]
自分で取るライフログって意識してやってるから
あまり無意識の行動に対する気付きはなさそうな気がします。
且つ、先の例みたいに「集中すると歯を食いしばる」って
意識的には気付きようがないことですよね。

確かに日記を書くとき、自分の経験を整理する中で
新しい自分の側面というか感覚というかを発見することはあるかもだけど、
もっと何気ない行動こそ「毎日習慣的に行われていること」だから
気付くことに価値があると思うんです。

でまぁ、意味がある情報をいかに蓄積するか、
それをいかに解釈するかが問題なんですけども!

2010年6月3日木曜日

オンラインゲーム×トレーディングカード

【情報共有】
リアル×バーチャル
Moshi Monsters、アバターの画像からトレーディングカードを作るサービスを開始
http://www.secondtimes.net/news/world/20100222_moshimonsters.html
"イギリス・ロンドンに拠点を置くMind Candy社が、同社が運営する子供向けの”怪物”仮想空間「Moshi Monsters」にて自分のアバター画像を印刷してトレーディングカードを作るサービス「Moshi Trumps」を開始した。

「Moshi Trumps」は、自分のプロフィールページのURLとアバター画像、友達の数、ゲームのスコアなどを印刷し、トレーディングカードを作ることができるサービス。友達と交換し合うだけでなくデッキを作ってゲームをすることもできる"

なんてことのない記事ですが、
ネット上で自分が構築したキャラクターが
カード化されるのって面白いかも!と思ったので共有します。

昔でいうカードゲームって、遊戯王とかポケモンとかで、
かなり小学生の間で流行ってましたよね。自分もけっこうハマってました。
ゲームボーイでも、遊戯王やポケモンはよくやっていましたが、
カードゲームには、ゲーム機とはまた違った楽しさがあったのを覚えています。

昔のカードゲームのハマる要素は、
人と対戦できるゲーム性、
実際に物質的なモノを体感できるリアリティ性、
希少価値や種類の量を求めるコレクション性の3つが主だと思います。

ここで、記事にあるような、
ネット上で構築したものがリアルに反映されるとどう面白いのか。

一つは「自分次第でキャラクターが変わること」
ネットの世界にコミットすればコミットするほどカードの質も変わることで
旧カードゲームの、購入やトレードに加えて「成長させる」という選択肢が
増えることになる。それによってゲーム性が向上しそう。

次に、「形に残ること」
これはネット上に流れる時間を一旦あえて遮断することで、
成長の段階を追える楽しさがあると思う。
例で言うと、「ピカチュウ→ライチュウ」って進化する過程で、
ピカチュウをピカチュウのまま保存するというか記録に残すというか、
流れの中で消えてしまうものを形に残すのがリアリティの醍醐味。

最後に、「自分だけのキャラクターであること」
単純に自分だけのやり方・タイミングで育てたものは他にはない価値となる。
クラウドソーシング的な発想で、ひとりひとりが育てたキャラクターなら
もしかしたら種類は限りなく作れるかもしれないし、コレクション性は◎。


自分の想像しているものは、記事にあるサービスとだいぶ違うけど、
オンラインゲームとトレーディングカードの組み合わせは
なんだか新しい価値を生みそうな気がします。
似たような発想の内容で、記事があったので以下に載せます。

オンラインゲームにも通じる? トレーディングカードゲームビジネスの今。
木谷氏に聞く,コンテンツビジネス最前線
http://www.4gamer.net/games/085/G008583/20090525032/index_2.html

(今のトレーディングカードってこんなんばっかなんですかね。少しショック。)

2010年5月22日土曜日

デザイン思考のエッセンス(前)

◎より良いminiプロジェクトのために

現在、ゼミではminiプロジェクトと称して、デザイン思考を実践して実際にモノを作り出す、という活動を4人チーム×8班で行っています。ゼミ全体としてはオリエン期間という位置付けです。

さてさて、プロジェクトの内容もさることながら、「デザイン思考を学ぶ」という裏テーマがあるわけなのですが、多くの人が若干そこから目が離れているような気がするので、ここで今年のminiプロジェクトとデザイン思考について考えてみようかなと思っています。

miniプロジェクトの進め方というのも毎年変化させていかなければなりません。デザイン思考を学ぶという目的が変わらないのならば、より良い方向を目指すのは当たり前のことなのです。今年もminiプロジェクトが終わりそうな今、昨年度と今年度の比較というのをそろそろ纏めるべき時に来ているのでしょう。まずは昨年度の状況をまとめてみます。

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【2009年度】
参考書:デザイン思考の道具箱・HCDToolkit・ペルソナ作ってそれからどうするの?

<スタイル>
各参考書を読みながら、その本の方法論に則って順番にプロジェクトを進めていくというスタイル。

<状況>
前半は各プロジェクトが同じようなスタートを切ったものの、問題意識の設定、哲学・ビジョンの作成で多くの班が苦戦、後半にかけて各班におけるプロジェクトの進行度が開いていった。哲学・ビジョンの設定に苦しみ、テーマが右往左往するのは当たり前、完全に別のテーマになってしまう班もあった。

デザインの上流過程に大分時間を取られてしまい、プロトタイプの作成が精一杯の班が多く、それを実際実践したり、プロトタイプを作り直すといった段階まで進んだ班はほとんど見受けられなかった。

ここから生まれた、または予想される問題点としては「哲学、ビジョンや問題意識の設定という部分に多くの時間を割きすぎ、デザインの下流工程について触れる時間がほとんどなかった」ということが挙げられる。また「本に則りすぎて、余計に混乱してしまう」という一幕もあった。

さて、この問題点を踏まえて2010年はどうなったかというと…

【2010年度】
参考書:デザイン思考の仕事術

<スタイル>
「つくって・かたって・ふりかえる」というモットーのもと、プロトタイプ重視でプロジェクトを進める

<変更点>
前半部分に時間を取られすぎたという、昨年度の課題を踏まえ、デザイン思考における周回というものを意識したスケジュールへと変更。5週間で「つくって・かたって・ふりかえる」というプロトタイプ作成までの流れを2周行うというスケジューリングへ。

また参考書を読んでプレゼンするという、デザイン思考のプロセスについて全体で学びながら進めるという機会をなくし、代わりに第6週をデザイン思考のプロセスにおける振り返りのための1週間を位置づけた。本に書いてある手順に則ってプロジェクトを進めるよりも、壁にぶち当たったら班内で臨機応変に対応して欲しいとの要望である。

<状況>
プロジェクトは現在進行中であるものの、ある程度の傾向は見えてきた。2週間でプロトタイプを完成させなければならないという縛りから、多くの人が早い段階からプロトタイプの作成に取り掛かるようになった。また、プロジェクトのテーマという観点からもプロトタイプを作ってトライアルをしやすいテーマが選ばれるようになるという変化があったのである。多くの班がプロトタイプの作成、トライアルの繰り返しを行うという状況にあるが、問題点も存在している。

前半部分をスピーディーに行おうとしたスケジューリングだったが、結果としては前半部分の欠如に繋がってしまった班も出てくることになってしまった。前半部分とは、ここでは問題意識の設定という部分だと捉えてもらってかまわない。問題意識の設定にあまり時間を費やすことが出来ず、どちらかというとアイデアベースで物事を進めてしまった班も多いのではないか。

また、全員でデザイン思考の書籍を輪読しないというスタイルも検証が必要である。多くの人がデザイン思考という手法を意識してプロジェクトをしていたかどうかというのが、まだ僕にもよく分かっていない。その状況下でいきなりプロジェクトに放り出されてデザイン思考の手法を用いることが出来たのかどうか。

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後編では、本年度のミニプロにおける改善点・問題点を更に深掘りし、デザイン思考のエッセンス、来年のミニプロの方向性について考察することにしますのでお楽しみに(笑)

2010年5月4日火曜日

Student apathy

こんばんはー。
同じく慶應義塾大学武山政直研究会の池田憲弘です。

僕の場合は自分が考えたことや面白かったことなどについての適当なアウトプットの場所になるかと思います。軽い気持ちで読んでみてください。

最近、ステューデントアパシーという言葉を知った。アパシーとは、心理学用語なのだが、精神疾患や脳器質疾患に見られる無感情や感情鈍麻の状態を指し、無気力・無関心・無快楽が主な特徴とのこと。

こう見ると、非常に重々しく見えるが、これを大学生特有の状況に当てはめたものが、大学生アパシー、スチューデントアパシーということ。特徴的な症状は、「大学生の本業である勉強のみに対する無関心で、アルバイトなど勉強以外のことに対してはまじめに取り組むこともある」ということらしい。

なかなか硬い言葉だが、「大学生の無気力症候群」とでも言えば、少し馴染みが出てくるかもしれない。「5月病」のもっと長いヴァージョン?病気とは言えないような軽い状態も含めれば結構そういう人が多いような気もする。

また、この病気自体は他の世代、例えば新入社員などにも言えて、サラリーマン・アパシーなどと名前を変えているのだとか。同じく本業(仕事)に対して無関心・無気力になってしまうという症状のようですが、スチューデントアパシーと共に原因がよく分かっていないのが現状。

原因には諸説あるようですが…
・真面目な人に多い
・人の期待に答えようとする人に多い
・将来に対して漫然とした不安を持っている
みたいな傾向があることから、競争社会に疲れた人とか、自分で目的を持っていないことが原因というのが有力な模様。

僕としては社会全体の風潮の変化も原因なのかな、とも思ってしまう。言うなれば社会学的な側面からのアプローチ。ここからはただの推測。

このスチューデントアパシーが顕在化し、名前がつけられたのは1973年。第1次オイルショックが起きた年です。オイルショックというのは、高度経済成長期を越え、日本人の生活がある程度豊かになりきった、という1つの区切りとしての意味合いも強い。では大学生にとってはどうだったのか。

それまでは大学生には選択肢がなかった。「良い大学に入りそこで勉強し、良い企業に入って豊かな生活を目指す」という「大きな物語」、多くの人が望む世界像というものがあり、その物語の一部として大学は位置付けられ、その物語に従うしかなかったから。しかし、オイルショックが象徴するように、人々の生活が豊かになったことで「大きな物語」にひびが入った。

「大きな物語」というのは人に目的を与えてくれる。人は何も考えなくてもよく、常に目的が存在する状態に置かれる。実に近代的だが、この「大きな物語」の崩壊で一番割りを食ったのが大学生だったというだけの話。社会に出るまで、出てからのレールがぼやけ、自分で大学に行く目的を定めなければならなくなった。

この状況に適応できなかったからスチューデントアパシーは発生したのではないか。スチューデントアパシーの発生は近代的なシステムの崩壊に起因するのではないか、ということ。

さて、振り返って今を考えると「大学生の無気力症候群」みたいな話は未だに健在であるように感じる。しかし、昔のスチューデントアパシーとはもう質が違う。(物質的)豊かさを目指すという「大きな物語」は完全に崩壊し、多くの人が目的もなく大学に行くことが増えた今、(強制される)勉学に対して無気力であることが主流になったようにも感じる。そうなれば、もはやこれは「病気(異常)」ではなく「正常」になりつつあるのだろう。異常だと感じるのは今の社会人、大学生よりも上の世代だけだ。

病理ではなくなった今、スチューデントアパシーを論じ、揶揄する意味は消えるのか、それとも大学や企業などの位置づけ、存在の意義を変化させることでこの状況に対応するのか。時代はどちらを選択するのだろうか。